二人はほぼ同じ時期に登場し、ある種対極をなしながら40年以上にわたりトップランナーとして女性の時代を作り続けています。昔はユーミン派とみゆき派とも分けて比較した雑誌が多々ありました。まるで、ビートルズ派とストーンズ派のようでした。当時のフォークは四畳半フォークとも言われ、生活に密着した歌詞が多かった中、東京の呉服屋のお嬢さんだったユーミンは自分の音楽を中産階級サウンドと言い、ジーパンを絶対はかず、その時代の空気を豊かな表現力で歌に変えていきました。一方みゆきさんは北海道の産婦人科のお嬢さん。ただ、ユーミンが全く関わらなかった学生運動に関わり、反戦歌を歌っていました。人と人が蜜に討論する中でその時代を懸命に生きる人の精神を人の痛みを歌うようになったと思います。
●ユーミン
はっぴいえんどの流れから自然にレコードを聞いたのが荒井由美でした。同い年というともあって歌詞に出てくる東京オリンピックとかアポロ11とか同じ体験をしてきました。荒井由美時代のアルバムは3枚目までは相当聞いたせいなのか、一枚のアルバムを聞きだすと両面で一つの組曲のようになってしまっています。当時はユーミンの使ったことのないような言葉選びに「ベルベットって何?」「べっちんのことみたいだ」なんて会話が交わされていたと思います。それとクラスに一人はドルフィンに行ってソーダ水を飲んだやつがいたはずです。
チョイスは松任谷由美になってからの曲です。1曲目の『潮風にちぎれて』は結婚して苗字が変わった近辺の曲で、この曲の中に出てくる主人公と共に当時、一番好きな曲でした。確かこの当時高中正義もユーミンとの対談でこの曲が一番好きだと言っていました。
結局その後も松任谷由美の中に残っている荒井由美を探して聞いていた気がします。それが以後のチョイスです。ただ、『ダ・ディ・ダ』からはユーミンの声が若干変わってしまってそれ以後は何年か離れ、次に耳にしたのは冬彦さんでした。
余談ですが、前にユーミンと道ですれ違ったことがあって、真横に来たときに隣の人と話す声でユーミンと気づいたのを覚えています。声が聞こえなかったら絶対わからなかったと思います。
●中島みゆき
みゆきさんはやはり“北の国から”。倉本聰さんが何曲も挿入歌として使用しています。今も挿入曲を聞くとそのシーンが思い出されます。車の中でもみんなで聞けるユーミンと違って、初期は夜一人きりでじっと聞くタイプです。
ユーミンと違って瀬尾さんに固まるまでにアレンジも編曲も毎回のように人が関わっていました。ユーミンファミリーだった細野さんや茂さんもバックを演奏しています(細野さんは一曲だけですけど)。
特にいろいろな所で語られている七枚目のアルバム『生きていてもいいですか』は今も聞くのに覚悟がいる蟻地獄のようなアルバムです。一曲目からドーンと落とされ、『蕎麦屋』でやっと立ち直ってきたと思ったら再びドーンと落とされます。最後の曲は“北の国から”でみどりさんが五郎さんにぼそっとこの曲を知ってるか訊ねた次の日に麓郷を去っていくシーン。あまりに悲しくつらい曲です。
このアルバムと『化粧』は今も軽く聞くことができません。桜田淳子が歌っていたのは聞いた覚えはあるのですが、歌っていたことしか覚えていません。同じ曲なのに同じように泣くように歌っているのですけど。
チョイスの一曲目はデビューアルバムの一曲目です。他は『ホームにて』のようてショート物語のような曲を選びました。曲によって全く歌い方が変わるのがみゆきさんの特長で、中には『とろ』みたいなコミカルな歌い方をする作品もあります。ただ、夜会が始まってからは歌い方が変わってきました。最近は歌を聴くだけで歌っている顔が浮かんできます。